2次元形質空間における進化的分岐線と進化的分岐領域
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2次元形質空間で方向進化する集団が進化的分岐する条件(Ito and Dieckmann 2012,2014)について解説します。
1 仮定
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2次元元形質空間s = (x, y)T
-
突然変異は希で小規模(⇒個体数動態は常にほぼ平衡状態)
-
突然変異の確率分布は2次元正規分布で近似することができ、その分布は形質空間上で一定(親の表現型に依存して変異の生じ方が変わったりしない)。
2 進化的分岐線の条件(単純な場合)
進化的分岐線の原理をシンプルに説明するために以下の仮定を置きます。
-
突然変異の分布はx方向の標準偏差σx、y方向の標準偏差σyの2次元正規分布に従う。
-
σyはσxよりも小さい。
2.2 侵入適応度関数のテイラー展開
侵入適応度関数f(s’, s°)が任意のsについてf(s, s) = 0を満たすことを使うと、f(s’, s°)はs = 0のまわりで以下のようにテイラー展開できます:
O(σ3x)は「せいぜい
σ3xと同程度の規模」という意味で、この場合は3次以上の全ての項を含みます。(
O(σ3x)の定義は「
limσx → 0O(σ3x) ⁄ σ3xが有限の値となること」です。)
次にx方向とy方向で突然変異の規模が等しくなるように、形質空間をρ = σy ⁄ σxだけy方向に引き伸ばします。具体的には、等方座標系
を導入します。式(4)から得られる
x = x̆, y = ρy̆を式(2)に代入すると、等方座標系での適応度関数が得られます:
2.3 進化的分岐の条件
ここでy方向の突然変異の規模がx方向よりも著しく小さく、ρ = σy ⁄ σxの規模が大きくてもσx程度であると仮定します。δx̆とδy̆の規模はそれぞれσx、σy = ρσx = σ2x程度なので、式(5)におけるρCxyx̆°δy̆ + ρCyxy̆°δx̆ + ρ2Cyyy̆°δy̆と2ρDxyδx̆δy̆ + ρ2Dyyδy̆2は皆O(σ3x)に含まれてしまい、以下のようになります:
すなわち、等方座標系における
y̆方向の方向性選択圧は
ρgyとなり、形質
y̆からの寄与はこの項のみとなります。特に
ρ = 0のときは、
x̆を1次元形質空間とみなしたときの進化的分岐点の条件と等しくなります:
-
x̆方向に収束安定である:
-
x̆方向に分断化選択が存在する:
一方
ρ > 0のときは、y方向の選択勾配が進化的分岐を抑制するので、その抑制力に対してx方向の分断化選択が十分に強い必要があります(Ito and Dieckmann 2007)。具体的には、式(7)と(8)に加えて、以下の条件を満たすならば、
最尤進化経路における進化的分岐が保証されます(Ito and Dieckmann, 2014):
-
x̆方向の分断化選択がy̆方向の方向性選択に対して十分に強い:
最尤進化経路とは、形質置換連鎖の各置換において最も起こりやすい置換を想定した形質置換連鎖のことです。
ある点s = (0, 0)Tが式(7)、(8)、(10)を満たす場合、その付近にもそれらの条件を満たす点が存在し、それら全体として、y軸上の線分(0, Δy)Tを構成します。その線分を、進化的分岐線と呼びます。進化的分岐線の付近に位置する単型の集団は、方向進化によってこの線分に引き寄せられ、この線分と垂直な方向に分岐します。式(9)、(10)、(12)が、単純な状況での進化的分岐線の条件になります。
3 進化的分岐線の条件(一般的な場合)
上の例では、突然変異の規模がx方向とy方向で著しく異なる場合を考えました。実は規模が同じ(すなわちρ = σy ⁄ σx = 1)でも、適応度関数がy方向の変化に著しく鈍感であるために式(5)が式(6)に単純化できる(gy,Cxy, Cyx, Cyy,Dxy, Dyyがとても小さい)場合もあります。その場合の進化的分岐の条件も、式(7)、(8)、(10)で与えられます。
さらに、突然変異の規模や適応度関数の感度が最大、最小になる方向がx,y方向に揃っていなくても、揃うように座標系を回転することで、式(7)、(8)、(10)を適用できます。
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2次元元形質空間s = (x, y)T
-
突然変異の分布はσ2x、σ2yをそれぞれ最大、最小固有値に持つ共分散行列Vの2次元正規分布に従う。
-
小さい方の固有値をσ2y、大きい方をσ2xとする。
3.2 等方座標系における適応度関数
まずVを対角化する:
ここで
exと
eyは固有値
σ2xと
σ2yの固有ベクトル。
s̆を以下のように定義することで、
s̆は変異の規模
σxの等方座標系となる。
ここで
Eは回転行列で、等方座標系の軸の向きを調整するために後で使います。等方座標系における適応度関数の1階微分、2階微分は以下のように計算できる。
3.3 進化的分岐線の条件(一般的な場合)
一般的な進化的分岐線の条件は式(14)の
ğ, D̆, C̆と
σx、
σyを用いて以下のように記述されます。
進化的分岐線の条件
式(14)における回転行列
Eを適切に選ぶことで点
sが以下の4条件を全て満たすならば、
sを通る
進化的分岐線が存在する.
-
適応度関数がy̆方向の変化に著しく鈍感である:
-
x̆方向に進化的特異である:
-
x̆方向に収束安定である:
-
x̆方向の分断化選択がy̆方向の方向性選択に対して十分に強い:
-
形質空間に進化的分岐線が存在し、その近傍に単型の無性生殖集団が位置する場合、「その集団は最尤進化経路において単調に進化的分岐線に向かって方向進化し、進化的分岐を生じること」が保証されます。最尤進化経路ではない通常の形質置換連鎖においても、95%以上の確率で直ちに進化的分岐を生じることが数値的に確かめられています(Ito and Dieckmann, 2014)。
3.4 進化的分岐線の条件(一般的な場合の簡易版)
上述の式(15−18)をできるだけ満たすように回転行列Eを適切に選ぶのはけっこう面倒だと思います。そこで、等方座標系において分断化選択が最大になる方向にx̆軸が平衡になるようにEを選ぶというのが省エネなやり方です。これは(D̆は対称行列なので)D̆が対角行列になるようにEを選ぶことに対応します。
また、また、数値計算のときは1番目の条件のO(σx)の吟味をどうすればいいか困るので、私は = O(σx)の代わりに < √(σx)を使っています。これらを反映させた進化的分岐線の条件は以下のようになります。
突然変異の共分散行列
Vの固有値を大きい方から
σ2x,
σ2yとし、それらの固有ベクトルを
ex,
eyとして
さらに、
WTRT∇s’∇Ts’f(s, s)RWの固有値を大きい方から
Dmax,
Dminとし、それらの固有ベクトル
vmax,
vminを用いて
E = (vmax, vmin)とする。このとき
を用いて進化的分岐線の条件を以下のように吟味します。
進化的分岐線の条件(簡易版)
点
sが以下の4条件を全て満たすならば、
sを通る
進化的分岐線が存在する.
-
適応度関数がy̆方向の変化に著しく鈍感である:
-
x̆方向に進化的特異である:
-
x̆方向に収束安定である:
-
x̆方向の分断化選択がy̆方向の方向性選択に対して十分に強い:
-
1番目の条件の必要性については議論の余地があります。方向進化しながらの進化的分岐を解析的に扱うためには適応度関数の単純化が必要であり、その単純化のためにこの条件を課したという経緯があります。Ito and DIeckmann (2012)ではこの第1条件を除いて適用しており、進化的分岐の予測は概ねうまくいっていますが、現時点では私は第1条件はあった方がよいと考えています。
4 進化的分岐領域の条件
進化的分岐線が存在する形質空間において進化動態を数値計算すると、集団が進化的分岐線に到達する前に分岐が起こる場合があります。実は進化的分岐点についても、集団がその点に到達する前に分岐が起こる場合があります。ではどこまで近づくと分岐がおきるのか?を予測するために、「進化的分岐領域の条件」を作りました。具体的には、上述の進化的分岐条件の簡易版の第1、第2条件を除き、第4条件を少し変えたものになります。
突然変異の共分散行列
Vの固有値を大きい方から
σ2x,
σ2yとし、それらの固有ベクトルを
ex,
eyとして
さらに、
WTRT∇s’∇Ts’f(s, s)RWの固有値を大きい方から
Dmax,
Dminとし、それらの固有ベクトル
vmax,
vminを用いて
E = (vmax, vmin)とする。このとき
を用いて進化的分岐領域の条件は以下のように記述されます。
進化的分岐領域の条件
点
sが以下の2条件を全て満たすならば、
sを含む
進化的分岐領域が存在する.
-
ğxが小さい場合はsの近くにx̆方向に収束安定な点が存在する:
-
x̆方向の分断化選択が方向性選択に対して十分に強い:
-
βの値は用途に応じて使い分けます。
-
式(28)においてβ = 1とすると、ğy = 0のときに進化的分岐線の第4条件(式(24))と同じになります。
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ただし、β = 1だと数値計算における進化的分岐の予測としては保守的過ぎる傾向があるので、Ito and Dieckmann (2012)ではβ = 1 ⁄ 5を使っています。
5 適用例
これから書きます。